田園2016年4月号 巻頭言

田園2016年4月号 巻頭言

主と共に生きる!

フランシスコ会 ヨセフ杉浦信之修道士

 

ご復活おめでとうございます!
主は私たちと共におられます。主が共におられることにいつも気づいていることができます様に!

今年の復活節は、私にとって、特別な年になりました。荘厳誓願を官立し、一人のフランシスコ会士として、独り立ちをすることができました。これは、勿論、神の恵みです。神に感謝です。しかし、皆さんにも感謝せずにはいられません。
六年間被養成者として過ごしてきましたが、私自身、この間で大分変ったと感じています。皆さんに感謝です!そんな中でも、特に感謝したいのが、教会学校、中高生会、侍者会の子供たちとリーダーたちです。変わったおっさんが来たなあと思ったことでしょう。でも、いつも私の居場所を与えてくれました。私は、修道院に入る前は子供に接する機会もほとんどありませんでした。特に、中高生や、青年とは全く接すことがなく、私にとって異星人のような存在でした。思いっきり引いてました!でも、いつも、スギさん、スギさんといって接してくれて、嬉しかったです。親戚のおじさんみたいだと言ってくれる子もいました。
そして、自分の殼を破ることもできました。
親御さんには、いつも子供を指導していただいてなどと言われますが、本当は、私が彼らに育てられていたんです。私がこうなるなんて、信じられないです。これは、神の導きとしかおもえませんね!神様って、本当に導いて下さるのですね!修道院に入ってつくづくそう思います。このように私を変えてくださったこともそうですが、私は、修道院に入るように導かれていたんだと痛感します。聖フランシスコではありませんが、罪の中で生きていたし、その行きかたに何の問題も感じていませんでした。今まで、たくさんの方々にお世話になってきています。そんな意味で、自分の人生自体を否定する気持ちはありません。私自身がどうであったかということです。
人間は人の為に何かするようにつくられているのです。このことは絶対です。神がそう創られたからです。神様は人間をお互いに繋がっているように、共に生きるように創られているということです。そして、導いているということです。このことに気づけたことに感謝します。私は、思いがけず、修道生活という形で、神様と人々に奉仕する生き方に招かれました。神の恵みは私たちの内にある!そして、人間は神様に感謝できる!と確信した出来事が最近ありました。これは、代打で、地区集会に参加させて頂いた時にお話したことですが、私にとって、とても大切なできごとだったので、あらためてお話させて頂きます。私は、去年の夏、一か月間フィリピンに研修に行かせてもらいました。その時の出来事です。
神学院の寮でお世話になっていたのですが、その敷地内に、ポルチウンクラの聖堂を模した、きわいな聖堂があり、毎朝、そこでミサにあづかっていました。十日目ぐらいのことですが、ミサ中に涙が止まらなくなってしまったのです。日本人は私だけですし、英語もほとんど話せませんでした。
ここで泣いたら、ホームシックと思われるとおもい、必死で泣かないようにしたのですが、無理でした。何故、泣いてしまった
かというと、祭壇の後ろにある壁画に理由があります。そこには、微笑んでいるイエス様が描かれているのです。祭壇には傑刑の十字架という決まりがありますが、・・・たぶん昇天後のイエス様だと恩います。初めてだったのでビックリしました。でも、すごくいいなあと思いました。
その微笑んでいるイエス様が私にアタックしてきたんです。ご自分は何も悪いことをしていないのに、私たちの為に苦しまれ、
死んでくださった。それなのに、微笑んでおられる!そう恩ったら涙が止まらなくなってしまったのです。そして、御聖体を拝領した時、うわあ〜、私たちを寂しがらせないように、ここにいてくださっている!ありがとうございます!ああ、私は神様の恵みの中で生きているんだ!心からそう思いました。神の恵みは現実なんだ!こんな私でも神に感謝できて!この方の為に生きたい!そう思いました。そして、修道者として生きる決心をしました。こんな優しい神様に信頼して生き抜きます。神様は共にいてくださいます。イエス様は微笑みながら待っていてくださいます。
私の今後なのですが、司祭志願ではなく、ブラザー志願なので、荘厳誓願を立てたら、別の場所に派遣されていきます。次の任地は韓国です。一年間の語学研修です。その後は未定です。私はここを去っていきますが、いつまでも、ここが古里として忘れません。皆さんの為にお祈りします。私の為にも祈ってください。長い間本当にありがとうございました。

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