田園2015年1月号 巻頭言

田園1月号 巻頭言 信徒発見一五〇周年

主任司祭 ドミニコ竹内正美神父

 

明けましておめでとうございます。

新しい年が皆様方にとって恵み豊かな年となるようお祈りいたします

一八六五年三月十七日は日本カトリック教会にとって特別の日となりました。世界にとっても驚くべき歴史的な日となりました。日本における信徒発見の日だからです。

今年は信徒発見一五〇周年記念の年になります。

フランス寺と呼ばれていた大浦天主堂に見物人に紛れ込んで、浦上の信者であるイザベリナ杉本ゆりと十数名が来られ、プチジャン神父の耳元でささやきました。

「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」(私たちの信じていることと、あなたの信じていることは同じです)。「サンタ・マリアのご像はどこ」。プチジャン神父は聖母のご像の前に案内しました。「本当にサンタ・マリア様だよ。御子ゼズス様を抱いておられる」。プチジャン神父は非常に驚き、そして感動しました。

 

キリスト教迫害のため、約二五〇年の同一人の神父もいなくなったこの日本で、長崎で、初めて耳にした信仰宣言だったのです。長い潜伏期間を、どのようにして彼らは自分たちの信仰を親から子へ、子から孫へと伝えていったのでしようか?しかも七代に及ぶ長きにわたって?

禁教令の取り締まりがますます厳しくなってゆく中で、浦上の孫右衛門は七郎左衛門とこっそり合い、張り裂けそうな胸の内を話しました。「七郎左衛門、俺たちの信仰はこれで終わってしまうのか。今の今まで、信仰のために殉教したあれだけの仲間の血は、無駄だったのか。信仰を守るために俺たちで何とかしよう」と奮い立ったのでした。

司祭不在の中、ミサも聖体もゆるしの秘跡も授かることができない状況で潜伏キリシタンの共同体の強いきずなが考え出したことは、教会の暦や決まりを知らせる役(帳方)、洗礼を授ける役(水方)、信者への連絡役(聞き役)を中心にした信者たちの秘密の仕組みでした。こうして、信仰という固いきずなに結ばれた信者たちの信仰は約二五〇年間伝えられることになったのです。

 

私たちカトリック田園調布教会共同体も、命を懸けた信仰する先人たちの姿に学びたいと思います。

信仰の自由が保障されている教会の中において、いろいろの課題が表面化されてきたことです。共同体の弱体化、共同体への無関心もその一つでしょう。と同時に教会から遠ざかっている兄弟姉妹たちがいることです。

その理由や原因を考えてみると、幾つかを挙げることができます。まず、幼児洗礼のまま放置された受洗者、この人たちは、洗礼を受けていてもその恵みに応えることなく生活し、自分たちが教会の一員だという意識もありません。

躓きによって共同体から離れ去った受洗者、聖書に「つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸だ」。共同体ひとり一人が心しなければならないことです。

 

世俗化の波に漂う受洗者、わが子の人生と幸せのために親が用意する選択肢の中に、神や教会や祈りがなくなってきています。そして、教会から親子の姿が消えつつあります。

苦悩とうめきの中で呼び掛けられるのを待つ受洗者などがいます。彼らは今日も「安心しなさい。立ちなさい。あなたを呼んでおられる」(マルコ10,49)という福音を待ちわびている人たちです。

カトリック田園調布教会共同体のメンバーである私たち、ひとり一人が「このままではいけない」という心からの思いか、私たちを回心へと向かわせます。

私たちの教会には他の教会にない、「家庭集会」或いは「地区集会」という組織があります。信徒の交わりの場、聖書の分かち合いの場、カテキズムの学びの場、それはまさに生涯養成の場でもあります。共同体の交わりのために大切な位置を占めています。

今年の私たちの努力目標は「キリストの福音に支えられた共同体づくり」と「典礼・秘跡によって生まれ、育まれる共同体づくり」に努めたいと思います。

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