田園2019年3月号 巻頭言

田園2019年3月号 巻頭言

四旬節を迎えて
助任司祭 アウグストヌス桑田拓治神父

3月6日「灰の水曜ロ」から四旬節を迎えます。主の追越を迎えるための準備の季節です。灰の水曜日と聖金曜口には小斎と大斎を守ることが求められます。小斎とは肉類を食べないことですが、各自の判断で價いの他の形式、特に愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守ります。大斎は一日に一回だけ充分な食事とそのほかに朝ともう一回わずかな食事を取ることができ、満18歳以上満60歳未満の信者が守ります。しかし、病気や仕事などで明らかな事情があるときは大斎の義務はありません。また、カトリック教会のカテキズムの要約の106で荒れ野におけるイエスの誘惑と四旬節の関係を次のように説明されています。

「荒れ野におけるイエスの誘惑は、楽園におけるアダムの誘惑と荒れ野におけるイスラエルの誘惑を統合するものです。サタンは、御父にゆだねられた使命に対する従順という点で、イエスを誘惑します。
新しいアダム、キリストはこれに耐え披きます。イエスの勝利は受難、すなわち子としての愛による最高の従順の勝利を告げています。教会は、特に四旬節の間、この誘惑の神秘と結ばれています」。

四旬節は単に節制や苦行をする季節ではなく、自分と神様の関係を根本から見直すための季節であり、回心の恵の季節でもあると言えるのです。神様との関係において、熱心な信者こそ時として大きな勘違いをする危険があります。それは自分か頑張れば頑張るほど、恩恵と義化の関係性を転倒させる危険です。私たちが努力して信心業に励み、節制し、ミサを捧げるから恩恵を受けるのではなく、神に呼ばれ恩恵を受けたからこそ正しい者として神に応え、教会の礼拝に参与することが出来るのだと言うことです。
毎週日曜日に教会に来て共にミサを捧げるのは義務ではなく、恵なのです。このように恩寵の先行性、無償制を心に止めるなら、かたじけなさに感謝し、喜びを心に刻み、人に対して心の柔和な者として接することが出来るのです。

神の恵みによる信仰の実りは感謝、喜び、平和であり、人間の我意の業の実りは不平、怒り、裁きなのではないでしょうか。
良い本は良い実を結ぶ、これは聖書の識別の言葉です。この四旬節、自分の実りはどのようなものになっているのか見つめて共に歩んでいきましょう。

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