田園2017年4月号 巻頭言

田園2017年4月号 巻頭言

回心の時、恵みの時
助任司祭アウグストヌス桑田拓治神父

4月に入り四旬節も後半を迎えようとしています。四旬節はラテン語の「Quadragesima」40番目という言葉を語源に持っています。40という数字は聖書において神に出会うための準備の期間を示しているといわれています。モーセに率いられたイスラエルの民が荒れ野を彷徨していたのは40年でしたし、ヨナがニネベの人々に預言した改心の期聞は40日間でした。そしてイエス様が荒れ野で断食されたのも40日間でした。ちなみに四旬節が始まる灰の水曜日は復活祭の46日前になりますが、それは四旬節中の日曜日を除いて40日になるためです。

四旬節は復活したイエス様を祝うために準備の期間であり、悔い改めと節制が求められる時でもあります。
昔はイエス様の40日間の断食に倣い四旬節は40日間の断食を行っていましたが(日曜日は断食しないので40日にカウントしませんでした)、断食は現在では完全に食事を断つというよりも、十分な食事をひかえることと考えられていて、以下のように「大斎・小斎」があります。
大斎と小斎を守る日は灰の水曜日と聖金曜日(復活祭直前の金曜日)、小斎を守る日は祭日を除く毎金曜日です。

大斎
1目に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満18歳以上満60撒未満の信者が守ります。
小斎
肉類を食べないことですが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守ります。

以前は「悔い改め」「改心」という言葉がよく使われていましたが、最近では「回心」という言葉を使うようになっています。
これは聖書の「メタノイア」という言葉から心を神に向け直すことにアクセントが置かれている言葉です。もし私たちが一生懸命、節制に努めれば努めるほど、自分の中に傲慢な心が芽生えてしまうのではないでしようか。
頑張っている自分の視点から他者を見ると、相手の足りないところに目がいってしまい、相手を裁くことになるかもしれません。
そうではなく父である神様に心を向け、神様がどのような眼差しで私を、私たちを見ておられるのかということに心を向けるなら、他者を裁くのではなく頂いている多くの恵みに感謝することが出来るようになるのだと思います。

弱い私たちはどんなに頑張っても変わることは出来ないかもしれません。しかし物事の見方、捉え方を変えることは出来るのではないでしょうか。
私たちは往々にして可能性に過ぎないことを決めつけ、レッテル貼りして断定したり、「いつも」「みんな」「すべて」と誇張してしまったり、一部分だけを見て大切な部分を見落としたりしていないでしょうか。そうした色眼鏡を外して、私たちの認識が変わるならば、私たちの他者への行動も変化するのだと思います。それは四旬節を我慢くらべの季節から、普段は見落としていた大切な事柄に気づき、心を神に向けることによって恵みの時に変えていくことなのだと思います。
残された四旬節を神様の恵みの時として過ごして参りましょう。

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