田園2016年5月号 巻頭言

田園2016年5月号 巻頭言

復活した主キリストの喜びが皆様とともに!

協力司祭 トマス小平正寿神父

 

 

イエスはこの世に来て罪の赦しのほかに光と喜びをもたらした。こうして神の約束は実現された。追放の憂き目にあった旧約の民にイザヤは「やがて苦難の時代は終わり、喜びと光のうちに祖国へ戻れる時が来る」と語った(紀元前732年)。

 

そうです。イエスこそ人類のために現れた偉大な光です(復活賛歌より)。「私は世の光です」とおっしやったイエス。光とはどういう意味でしょうか。それは道であり、真理であり、特に命です。たどるべき道中の確かなよりどころです。旅の良き伴侶であり、神へと近づかせてくれるのです。 「私を通らなければ誰も父のもとに行くことはできない」(ヨハネ14・6)。

 

イエスは生命で、人生の目標で、報いです。イエスは死の遭難から救ってくださるお方です。光と生命は結び付いています。

新しい生命は光の中に誕生します。「私に従う者は生命の光を得るであろう」(ヨハネ8・12)。

 

イエスは喜びでもあります。イエスの御誕生にあたって天使は「私はすべての民に及ぶ大きな喜びの訪れをあなた方に告げる」と言ったのです(ルカ2・10)。イエスの公生活は喜びを告げることでした。最後の晩餐においても「私の喜びがあなたたちにあるように」(ヨハネ15・11) 「あなたたちの心は喜びでみたされるであろう」(ヨハネー6・24)とおっしゃったのです。

聖パウロも弟子たちを励まして「いつも喜びなさい。重ねて言います喜びなさい。」(フィリ4・4)と言って努力を促しています。私たちも喜びの花を咲かせましょう。寒さの後に花は咲きます。翻難辛苦の後に、私たちの花は咲きます。パウロは「どんな苦しみに会ってもこの上なく喜びにあふれているのです」と言ってます。

 

喜びはキリスト者の中にいる聖霊の交わりから生まれます。「霊の結ぶ実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5・22)「あなた方の喜びを見せてあげなさい」(イザヤ66・5)と聖パウロもイザヤも言っているとおりです。

 

ミサは私たちにとって喜びの確かな泉です。悩みつつ道をたどるのは人の世の常ですが、神のみ言葉と御聖体に養われて心は喜びにあふれ家路につくことでしょう。実に、主のくださる喜びは私たちの力なのです。

主から力と喜びをいただきましょう。そして喜びを証する人となりましょう。

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